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  • 執筆者の写真松崎 丈

カンゲキ備忘録【演劇】『道雪-どうせつ-』

とき:2019年10月4日(金)

ところ:シアターX(カイ)

THE☆JACABAL'S『道雪-どうせつ-』

 

 歴史劇を観るとき、時代考証の正確さ、物語がどれほど史実を反映しているか、物語の時代背景に照らして人物の所作や言葉遣いに齟齬や無理はないか、民俗・風俗的な要素は子細な検討を経ているかどうかなど、ついつい気にしてしまうことがしばしばある。


 しかし、良質な歴史劇と出逢ったときには、上述のような気づかいは一気に吹き飛んでしまう。


 細々とした点はさて置いて、ただ現在この瞬間、自分の目の前で展開されている物語にひたすらグイグイと引き込まれていく。


 「体ごと、心ごと持っていかれるものか!」と歴史ファンならばこその愛すべき「ケチ」な了見とともに身構えながらも、結局まるごと持っていかれてしまう、そういう時間を至福と言わずして何と名付けよう。


 『道雪』に身を任せた時間は正しく至福の時間だった。


 空間いっぱいに展開される殺陣の迫力、絢爛豪華たる衣装の美々しさ、音楽と照明が紡ぎだすダイナミズム。もちろんそれらは魅力的な要素なのだが、何よりも心打ち震えるのは、物語のそのものに溢れている愛と誠の力が、観ている者の魂の底の底にある核(コア)を透徹した一筋の光で射るということなのだ。


 ここにしばらく、筆と想いの赴くままに『道雪』との幸福な邂逅を振り返ってみよう。


フィクションの増幅力

 僕は歴史ファンを自任している。もっとも心惹かれるのは上代日本ではあるものの、戦国から織豊政権時代に至る、いかなる快刀と言えども断ちがたい乱麻の時代を無視できる歴史ファンは稀有だろう。


 なかんずく僕の一族の流れの中の比較的近い位置にその氏(うじ)を同じくする「田原」氏を擁する大友氏と、僕自身と名を同じくする惟新公の活躍をもって鳴る島津氏がしのぎを削りに削った九州の歴史に冷淡ではいられない。


 三国志にもなぞらえられる大友、島津、龍造寺、そしてわが父の故郷である安芸備後を根拠地に中国10国に覇を唱えた毛利氏の興亡についての知識はアマチュアとしては人後に落ちない自信がある。


 そんな僕の知識を軽々と、それはもう潔いほど軽々と裏切ってくれるフィクションの世界、それが『道雪』だった。


 僕は皮肉を言いたいのではない。そもそも史実などというものほど当てにならないものはない。その時代のあり様をその目で見、耳で聞いた人など今の世には生きていないのだし、史書に残されている記述にしたって怪しいものだ。いわゆる「史実」は往々にして支配者や権力者の都合よく記されるものなのだから。


 物語が史実を飛び越えるならば、その跳躍は徹底している方が良い。中途半端なフィクションよりは徹頭徹尾のフィクションの方が心地よいものだ。そしてそのフィクションの中で、ただゆらゆらと揺蕩わせてほしいのだ。


 しかし単なるやりたい放題の無責任なフィクションでは鼻白んでしまう。フィクションの中にもひとかけらの真実が欲しい。その真実は史実ではない。史書から見える表面的な史実ではなくて、その行間ににじむ人間の心の誠、想いの真実だ。


 それさえあれば、二階崩れの変の段階での大友義鎮が「宗麟」と呼ばれようとも、小早川隆景が筑前で討ち死にしようとも、島津家久が島津義久を「大殿」と呼ぼうとも、目くじらを立てる必要はないのだ。


 なによりも大事なことは、フィクションの中ならばこそ、ひとかけらの真実は増幅されるということだ。国を想い、村を想い、人を想う気持ち。自らが戦い、生きる意味を探ろうとする悲しさ。それらはフィクションの中でこそキラキラと輝くのかもしれない。現実の生は色が多すぎる、音がかしましすぎる。生の出来事をフィクションの中に移し替えることで、かえってありありと見えてくる景色が、聞こえてくる声があるとは言えないだろうか。


 『道雪』の中にはそのような景色と声が溢れている。臼杵にも吉弘にも、秋月にも田原にも、立花誾千代や立花四天王にも、そして大友義鑑にも、それぞれの景色と声がある。あるいは為政者としての使命感であり、あるいは家と自らへの執着であり、あるいは忘れえぬ人への憧憬と忠節であり、あるいは君臨することのやり切れぬ孤独であり。


 彼らはみんな史書にその名を残している。しかし彼らの心の景色と声を史書から読み取るのは、不可能とは言えずとも、相当の集中力が必要だ。それがフィクションの中で増幅されることによって、僕らの手が届く共感の対象となる。そして彼らの心の景色と声を、僕らが日常のある一コマで引き継いでいく余地を与えてくれる。


 『道雪』の中で、その景色と声をもっともキラキラと輝かせ、ありありと聞かせてくれたのは他ならぬ農村の雑兵たちだ。あの土に汚れた愛くるしさの中にも愛くるしさの溢れる笑顔、素っ頓狂な大音声の笑い声。なで斬りにされるときの真っすぐな悲しさ。喜びも苦しさも、ただありのままに受け入れるほかない人々の姿。


 輝く歴史の表舞台にいる人々の裏に、いくたの雑兵たちがいるように、僕という一人の人間の中にも彼らの存在があるはずだ。日常の中で僕がなにがしかの功をなし、人に称揚され、賞賛を受けるとき、その背後にはたださだめを粛々と受けて死んでいった幾人もの雑兵の僕がいるのだ。


 もっと大きな夢をあきらめた雑兵の僕、愛してやまない人との別れを粛々と受け入れた僕。いろんな雑兵の僕が、いろんなさだめを引き受けつつ、累々と築かれた死屍の山。その山の上にいまの自分がいる。にもかからず僕はそんな僕の中の雑兵たちをすっかりと忘れてしまっている。


 『道雪』の冒頭、わらわらと舞台に上がってきた雑兵たち。彼らの姿を見た瞬間に、僕の頬には一つ筋の涙が伝った。どうして涙が出ているのか僕自身にも分からなかったが、のちのち考えてみればあれは、僕の中で消えていった雑兵の僕たちの魂が、無意識のレベルで共鳴を起こしたのに違いない。


 『道雪』の持つフィクションの増幅力によって、人生のひとかけらの真実が様々なレベルで大写しされた。そうあればこそ『道雪』は単なるフィクションを歴史劇を超えて、豊後の国の一奇譚を超えて、かえってリアルな人間劇として僕の心をとらえたのだ。


生きる世界

 史書に名を刻み、歴史の表舞台に登場する人物。それは言ってみれば恒星のようなもので、放っておいても自ら光を発する。しかし恒星が僕たちの目にも届く強烈な光を発するために、そのもとでどれほどの目に見えぬ原子が燃えていることか。


 放っておいても僕らの目を射る燦然とした光ではなく、居ながらにして僕らの耳に届く大音声で響く声ではなく、目を凝らしても見えない、耳を澄ましても聞こえぬ原子の姿と声を形にすることこそ戯作者のなすべきことだとするならば、その姿と声を丁寧に拾っていこうとするところに、『道雪』の戯作者の誠実を感じる。


 その誠実に触れればこそ、この物語は冒頭のシーンから、この身を預けることに何の躊躇も感じさせない格の大きさを示してくれる。


 一方で光り輝く太陽を放置しておくわけにもいかない。太陽には太陽の辛さがあるのだ。この荒漠たる太陽系で、ただ一人輝き続けることを宿命づけられた太陽の孤独は、想像するだに身が裂かれるようだ。原子に目を向けつつも太陽そのものにも寄り添う。その慈しみがあればこそ、『道雪』は単なる歴史劇の枠を軽々と、はるかに飛び越えていく。


 『道雪』に沿って言えば、原子は農村の雑兵やその家族であり、やや大きくなって分子は立花家や大友家の家臣であり秋月種実であり、太陽のレベルに至るのは吉弘や臼杵、大友宗麟、毛利の当主(おそらく元就なのだろうが、この作品のフィクションレンジを考慮すれば、もしかしたら隆元かもしれない)、島津龍伯義久となろうか。それらの太陽も日本の歴史をもっと引きで見れば原子や分子のレベルになるかもしれない。


 ともかくそれぞれのスケールで生きている人々の物語の片鱗が、観る者がその片鱗を手掛かりとしてさらに先へ想像の旅を続けられる形で提示されている。


 偉大な父を持ったがゆえにその姿に抑圧を感じ続けたであろう大友宗麟しかり、国を守るという為政者としての型に自らをはめ込むことで生きて来ざるを得なかった臼杵や吉弘しかり、大樹に寄り添うことでしか自分の居場所を見つけることができなかった田原をはじめとする宗麟の近臣しかり、傑出した主君の幻影を守り続けることが忠義だと自分に言い聞かせるしかない立花四天王しかり、繰り返しになるが宿命を粛々と受け入れること(そのような生き方さえも意識していないであろうが)でしか生きることのできない農村の雑兵たちしかり。


 それは「生きる世界」への眼差しだ。その世界がどんな規模であれ、そこに対する透徹した目がなければ、この作品はとても書けないだろう。その「生きる世界」とは「自分自身」かもしれない、「家族」かもしれない、「村」かもしれない、「郡」かもしれない、「国」かもしれない、「日の本」かもしれない。


 しかしその「生きる世界」の規模が大きかろうが小さかろうが、その世界の軽重に差などないのだ。あってはならないのだ。


 『道雪』に登場する「生きる世界」はさまざまだが、それぞれの世界に注がれる眼差しの苦しみに満ちた慈愛。大きな世界だから尊しとなさず、小さな世界だから無条件に過度の同情をするわけでもない。その公平な(と言えばいかにも陳腐に聞こえるが)眼差しがあればこそ、一観客として安んじてこの身を任せようと思えるのだ。


放射状の仮託

 優れた物語を観るときにいつも思うのは、登場人物のすべてが結局一人の人間に納まるということだ。どんなに多くの登場人物がいようとも、それらは結局一人に納まる。その一人とは詮ずるところ、その物語を目撃した自分自身なのだが。


 それを欠片と言っても良い。どれだけ多くの人物がいようとも、その一人一人の中に自分の欠片を感じさせてくれる物語。そのような物語との出会いで、観客は自分自身を見直す契機を得て、あるいは今まで出会っていなかった自分に出会う。


 それを僕は「放射状の仮託」と呼んでいるが、優れた物語ほど放射状の仮託を可能にしてくれる。「あ、それって俺の中にもある」「あ、この人は俺の中にもいる」という気付き。質も色も全く違ういろいろな自分が自分の中にいることに気付きつつ、結局自分は一人の自分でしかない。


 それはオーケストラのようなものだとも思う。構造も音色も全く違う楽器が集まりつつ、奏でられるのは一つの音楽なのだ。楽器と楽器の微細なつながり、反目、それらをまとめ上げることで初めて響く美しい音楽。


 それは人間そのものだ。数えきれないほどの、機能の異なる細胞が集まり、協力し合い攻撃しあいながら、結局は自分という一人の有機体を形成する。


 そしてそれは芝居も同じだ。それぞれの役者の個性がぶつかり、調和し、照明と音響と舞台美術に寄り添い、激突し、しかし出来上がるのは一つの作品。そのような有機体としての物語に出逢った時に、自分のその有機体に一部として溶け込むことを望み、溶け込めたときの充足感。


 『道雪』は優しい物語だ。溶け込むことを希望する者を、誰一人として拒むことなく受け入れる度量の広さのある物語だ。それは舞台に立った一人一人が、やはり必死のその役を生きているからなのだ。中途半端に生きてる役に、放射状の仮託はできない。自分の一部を託し任せるわけにはいかない。一人一人の役者がその生を精一杯生きていればこそ、大きな一つの生命の柱ができ、その柱に溶け込むことが可能となるのだ。


 僕は今日、自分がその柱の一部になれた実感があった。その実感を味わえただけで、両国の地に足を運んだ甲斐があったというものだ。


Hot, yet Cool

 「熱い芝居」とよく言われる。「熱く稽古してます!」「もっと熱く盛り上がります!」SNSにはそんな言葉が氾濫している。


 そのような言葉に触れたとき「どうぞご勝手に」と思いつつも、「ただ熱いばかりじゃ、その熱にやられてこっちは死んでしまいますけど…」と思ってしまう。


「熱さ」を自任する芝居にこそ、根っこの部分ではクールでいてほしいのだ。いや、熱いことが悪いとは言わないが、クールを分からない人に本当の熱さは分からないと思うのだ。不自由を知らない者が自由を知らないように、冷酷さを知らない者が優しさを知らないように。


 「バランス感覚」と言えば嫌がられるかもしれないが、『道雪』はこの点のバランス感覚に優れた作品だ。熱さとクールの塩梅が良く出来ている。しかしそれが役割分担のレベルで終わってしまえば、やはりつまらない。クールな人物の中に熱さがほの見え、熱い人物の中にクールがほの見えるからこそ、よりリアルになるのだ。


 吉弘と臼杵を見ればそれが一番よく分かる。クールに語っているときほど、滾るような熱さを感じさせ、大音声で下知を下すときほど、失われないクールさを感じる。最後に自分たちの生きざまが、もしかしたら誤りだったのかもしれないと感じつつ、その誤りを正すためにはただ討たれるほかないと悟ったような二人はこの上もなくクールだ。


 もちろんそれは作品全体にも言えることだ。この作品が単なる「熱い芝居」で終わっていないのは、どこかに良い意味で突き放したクールを感じさせていたからだ。そしてそのクールの正体を、終盤の大友義鑑に見たのは僕だけだろうか?あの場面に接したとき、やっとのことで僕はこの物語が、冒頭の義鑑の問いに対する答えを探る作り手と観る者の共同のクエストだったと、はたと気付いたのだった。


 よく「心は熱く、頭脳は冷たく」と言われるが、僕はそれは逆だと思う。激しやすい心だからこそ冷たく、沈着たる頭脳だからこそ熱くあるから面白いのではないか?コントラストの妙と言えば、これもまた陳腐だが、青い月ほど熱く熱く燃えているように見えるものだ。


受け継いでゆく器

 最終盤、討たれた道雪を豊後の国に連れ戻そうとする立花宗茂と立花四天王。そこで宗茂が発する台詞はいかにも予定調和の、だれしもそれを言い当てうる台詞だ。果たしてあの状況で囲みを突破して国に帰れるかはなはだ疑問だ。主従ともども討ち死にし、道雪の躯は打ち捨てられることになるかもしれない。


 しかしそれで良いのだ。そしてあの予定調和の台詞を、予定調和の熱さで言ってのける宗茂が良いのだ。


 ここでも僕は皮肉を言うのではない。真心でそう思っている。それはそういう真っすぐな宗茂であればこそ、道雪を受け継いでゆくにふさわしい器だからだ。


 権謀術策うず巻く物語の中で、道雪はひたすら真っすぐだ。ただ大将首をとって手柄を上げたいと思い、褒美をもって村に帰りたいと思い、村を守るために言われるままに道雪となり、自分を守り大事に思ってくれる人々のために死のうと思い。


 日常生活でそんな人間などいるわけがない。そんなに真っすぐにいられるのはフィクションの世界だけだ。だから一層、憧れる、羨望する、嫉妬する。そして自分の中にわずかな部分でいいから、道雪になりたいと思う。


 そんな道雪を引き継いでいくには、カッコいいクールな宗茂ではダメなのだ。偉大な父、高橋紹運鎮種の家督を継ぐことを許されぬ屈折と、誾千代との夫婦仲もしっこり来ないフラストレーションを持ちつつも、やはりどこかお人好しで、直情径行な宗茂こそ道雪を継ぐのにふさわしい。


 人と人の親和性は立場や地位や年齢などは関係ない。誰かと通じという心、通じたいと思う相手の心と自分の心をすり合わせたいという誠意、そういうものがあればそれでよいのだ。それは意識的レベルでの親和性ではないかもしれない。むしろ無意識のレベルでこそ機能するものなのかもしれない。僕も親和性をついに感じることができず、自分の心のみを押し通そうとして、辛い別れをしたことがあるから、なお分かる。


 だからこそこの宗茂には、道雪との親和性を失うことなく、無事に豊後の国にたどり着き、彼の言う「国の誤り」を正してほしいと心から思った。それは簡単なことではないけれども、道雪と同じ真っすぐさを秘めている宗茂なら、すぐに熱くなり、敵陣に切り込んでしまう、「カッコ悪い」宗茂なら、必ずできると思ったのだ。やり遂げてほしいと思ったのだ。


 僕がこの『道雪』という物語に触れて一番強く感じたのは、僕の中にも何代もの「道雪」がいたということだ。それをフェイクと言ってもいい。強いはずの虚構の自分を作り、そのフェイクに名をつけ、その名によって自分を飾ろうとしてきた、そんな「道雪」が。


 それが一概に悪いことだとは思わない。そのような「道雪」があってこそ、今までの自分が生きてきたことは間違いのない事実だから。


 しかしいつか自分の中の「道雪」も死ななければならない。そしてその道雪を継ぐ宗茂を自分の中に育てなければならない。しかしその道雪が死ぬときに、僕は僕を支え続けた道雪に感謝の気持ちを忘れてはならないのだ。


 『道雪』を観終わった後、僕はウィリアム・ブレイクの詩の一節を想起した。


 「惧れるな、アルビオンよ。私が死ななければお前は生きることができない。しかし私が死ねば、私が再生するときはお前とともにある」


 おそらく僕は『道雪』の経験をこれから何度も何度も思い出すだろう。

 必死に生きることをカッコ悪いと思ったとき、「頑張る」ことに後ろ向きなったとき、生きる意味そのものに迷ったとき。


 そのようなときに僕を励まし、僕の背中を押してくれる作品にいままでいくつも出会ってきた。その系譜に、もう一つ新たな作品が加わったのだ。

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