• 松崎 丈

カンゲキ備忘録【演劇】『人間と、人間と似たものと。』

とき:2019年11月8日(金)

ところ:座・高円寺

TOKYOハンバーグ Produce Vol.27『人間と、人間と似たものと。』

 「難しい」とか「重い」という言葉にマイナスの意味が付与され始めたのはいつだろうか。


 分かりやすくてお手軽で、楽しくて笑えることが悪だとは毛頭思わない。


 しかしそれらの対極にある感覚を単純に忌避することで、得られたはずの何かを得ぬままに終わる「機会損失」に陥る恐れはないだろうか。

 TOKYOハンバーグ『人間と、人間と似たものと。』は、たしかに重い。いろんな意味で重く苦しい。


 しかしその重さと苦しさに向き合うことで、いまこの大地に、”両の足”で立っていられることへの震えるような喜びを満身で味わうことができるのだ。

 まず公式ウェブから、作品概要を引用。

【あらすじ】

 私たち人間に優劣があるのなら  “優”として生まれてきた人間がいつの時代でも人類を発展させてきた。  ​私たち人間に優劣があるのなら  “劣”に分類される人間たちは果たしてこの地球上に必要なのだろうか。​​  私たち人間に優劣があるのなら

 ”優劣”を無くすために私たち人間は生きてゆかなければならない。​

 だから私は“優”の人間として“劣”の人間を  滅ぼさなければならないと思った。​  人間が人間を滅ぼすのは人間が人間としての  自覚を持つ前から繰り返されてきたことであり、  それは人間が地球上に存在する限り終わることはないだろう。 ​​  それが人間の本能というもの。​  2019年の霜月、  TOKYOハンバーグが織り成す近未来型黙示録寓話劇​  彼女が言った。私は哀しい時に泣くけれど、  貴方は嬉しい時も泣く。どうしてと。

 表面的には人類存続のためと言いつつ権力に抗えない科学者も、己の地位と富の保全と拡大のためにだけに暴走する権力者も、対岸の火事には全く無知で無関心な大衆も、興味本位の本性を捨身的な覚悟のない偽善的な報道で糊塗するマスコミも、すべてに欠けているのは自分の頭で突き詰めて徹底的に「考える」誠実さだ。

 デカルトのあの有名すぎる言葉を思い出す。

 「われ思惟す、ゆえにわれあり」

 パスカルのあの有名すぎる言葉を思い出す。

 「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。」

 そうだ、僕たちは自分たちの言葉が、自分たちの行いが、何を意味し何をもたらすのかを徹頭徹尾考えるからこそ、初めて「人間」たりうるのだ。たとえその思惟の過程が、限りなく難渋で悩ましく、血反吐を吐くほどの苦しさを伴うものだとしても、その過程から逃げ出してしまうことは、自らが人間であることの依って立つ根本を、自ら打ち捨てにしてしまうことなのだ。

 と考えつつこの物語を追っていた僕を激しく引き留める「声」があった。


 それはソウとメンス、そして音(いん)やクローンたちの「あー」「うー」「いー」なのだ。


 それは人間の理性だの感性だの、ロゴスだのパトスだの、乱暴な言い方をすればそんなチンケでちっぽけなものが出す声ではない。


 魂の底の底から絞り出される声なのだ。制御しようとしても決して制御できない、抑圧しようとしても決して抑圧できない声なのだ。


 そしてその声に宿るのは「考える」ことの所産ではなく、言葉を得る前から人間の奥に宿っている魂の声なのだ。

 いま一つ感じたことは、常に時代と向き合い、できうる限り当事者であろうとする気高い志だ。


 この作品に出会わずしては、新彊のあの悲惨な状態を、およそ人間からかけ離れた所業を、ただ単なる対岸の火事としか思わなかっただろう。そしてそこに、繰り返される人間の愚行を、傍観者として見つめるだけだっただろう。

 そうだ、「人間に似たもの」なのは、紛れもない僕自身であり、僕の中には人間であろうとする自分と人間に似たものたる自分とが混在している。その事実を凝視しながら、やはり人間でありたいと思うことに、これからもまさに「人間」としての誇りをかけて、しがみついて行こうと思ったのだ。

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