松崎 丈
カンゲキ備忘録【演劇】『おへその不在』
更新日:2020年6月25日
とき:2019年9月6日(金)
ところ:下北沢 OFF OFFシアター
マチルダアパルトマン『おへその不在』

ご縁というものはどこに転がっているか分かりません。まさに「ひょんなご縁」で初めてマチルダアパルトマンさんのお芝居を拝見しました。
久しぶりの下北OFF OFFシアター。
愛情をこめて言うのですが、お義理にも「きれい」と言えません。もちろん広くはありません。
でも、こういう箱は、何とも言えず芝居ごころを刺激します。それはもう、バシバシ刺激します。
18歳の小生意気なガキだった頃も自分も、あの頃から成長してんだか、してないんだか分からない40歳の自分も、刺激の強度と質に差こそあれ、やはり刺激を受けてしまう。一歩踏み入れるだけで、何とも言えない切なさに胸がチクチクするような、そういう魔力が下北という街とそこにある劇場群にはあるのです。
公式ウェブの言葉を借りてあらすじをご紹介します。
【あらすじ】
でべそがコンプレックスだった へそ曲がり女はある朝おへそをなくした。 コンプレックスを失って、コンプレックスは増幅し、コンプレックスを取り戻す旅に出る。 周りの人々を巻き込みながら蛇行を繰り返しクライマックスへと突き進んでいく、玉突き事故演劇。
ある朝、突然へそがなくなる……。
カフカか?安部公房か?なんだかそんな不条理を感じさせる始まりです。
そしてその失われた「へそ」をめぐるでもなく、いろんな人々が舞台に現れ、消え、また現れ……。
一言で言ってしまえば「何が何だか分からない」のです。
そしてその分からなさ加減が、絶妙に心地いいのは、ユーモアとウィットがてんこ盛りの台詞の力と、それを全力投球で演じる役者の力なのです。
この作品は「すべてが説明的であることの退屈さ」を、見事に逆手に取っていると言えるでしょう。そのあたりはいかにも日本的で、「空白の趣」というものが効果的に使われていると言ってもいいでしょう。
予定調和的な結末を迎える作品が悪だとは思いませんし、作者や作品の立脚点をしっかりと明示する作品が悪いとも思いません。
しかし、劇場での体験を観客が日常で引き継いでいくという、僕が考える演劇の理想から言えば、作品は良い意味で多少ルース・エンドである方が良い。つまり結末に一定の空白がある方が良いと僕は思うのです。その空白を埋めるのが観客の楽しみでもあるからです。
そういう意味では「おへその不在」は巧みな空白を残して幕を閉じます。その閉じた幕をこじ開けて、観客が物語の続きを生きる楽しみを残してくれています。
「おへそ」、それはあって当たり前。
生物学的にはさておき、社会的には何のためにあるのかさえ分からない存在。
にもかかわらず体の中心にどかっと位置を占めている「おへそ」。
それを「普通」と言い換えれば、やや乱暴に過ぎるかもしれませんが、その普通の不在。
失くしてこそ初めて分かること、失くさないまま分からなくても良いこと。
俳優陣の力演を見ながら、僕は上京してから今日に至る自分がたくさんの「おへそ」を失くし、たくさんの「おへそ」に支えられ、たくさんの「おへそ」を得てきたんだなあとしみじみ考えていました。
久方ぶりのOFF OFFで出会ったちょっと不思議で素敵な作品。
9月16日までの公演です。