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  • 執筆者の写真松崎 丈

カンゲキ備忘録【歌舞伎】『鰯賣戀曳網』

とき:2020年1月3日(金)

ところ:歌舞伎座

壽初春大歌舞伎 鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)

 

 一昨日の新春浅草歌舞伎に続いて、昨日は歌舞伎座の壽初春大歌舞伎へ。


 白鷗丈の河内山、猿之助丈の連獅子と観たい演目はあれこれあれど、時間の都合もあって中村屋兄弟の『鰯賣戀曳網』(いわしうりこいのひきあみ)を幕見にて。

 三島由紀夫が六代目歌右衛門丈のために書き、歌右衛門丈の蛍火、十七世勘三郎丈の猿源氏で初演されたこの狂言。

 その後は五代目玉三郎丈の蛍火、十八世勘三郎丈の猿源氏で人気を博した。


 分かりやすいハッピーエンドの娯楽作品で、ナンセンスな台詞が随所に散りばめられ肩の力を抜いて観ることができるし、廓ものならではの衣装の美々しさも目のごちそう。爽快な笑いに包まれる、まさに初春にふさわしく、歌舞伎を観たことがない人も楽しめる演目。

 この狂言は中村屋にとってはとても大事な作品のひとつで、十七世、十八世の両勘三郎丈が演じて人気を呼び、当代勘九郎の猿源氏、七之助の蛍火でも何度かかけられている。

 僕はいままで2000年、2005年、2009年と3度、歌舞伎座で観たことがある。

 2000年は十七世勘三郎丈の十三回忌追善興行、2005年は十八世勘三郎丈の襲名公演、2009年は歌舞伎座の建て替えに伴う「歌舞伎座さよなら公演」、いずれも十八世勘三郎丈の猿源氏、五代目玉三郎丈の蛍火だが、これを見ても大事な節目節目で中村屋が演じる大切な演目であることが分かる。


 2014年には当代勘九郎の猿源氏、七之助の蛍火でかかっているが、これは十七世勘三郎丈二十七回忌・十八世勘三郎丈三回忌追善興行と、やはり大事な折の上演。このときはどうしても都合がつかず観ることができなかったのは痛恨事。

 中村屋の身上のひとつは可愛げのあるコミカルな芝居だが、この猿源氏にはそのような中村屋の人がぴったりと合う。


 庶民の鰯売りが焦がれ焦がれる遊君・蛍火に会うために、大名のふりをして廓に足を運ぶ。いかにも人の好さそうな鰯売りが一生懸命大名の真似をしているあたり、いかにも微笑ましく思わず笑顔になってしまう。

 迎え入れる遊君・蛍火。遊君とは遊女の中でもトップクラスで、並の客は相手にしない。蛍火は実は大名の姫君なのだが、人さらいに遭い今は遊女に身をやつしている。遊女ながらも凛とした気品を備え、一方ではとぼけたコメディの要素も持ち合わせていなければならない。なかなかの難役だ。

 十八世勘三郎丈と玉三郎丈の軽妙なやり取りは「秀逸」という言葉では言い切れないほどで、3回とも歌舞伎座の幕見席で笑い転げていた。

 いよいよ勘九郎と七之助で観ることができると思うと、昨日はわくわくして少し寝不足だったので、1時間ほど昼寝してエネルギーを充填して歌舞伎座へ。

 ここのところ、勘九郎は十八世に声がそっくり。容貌も父君を彷彿とさせるところがある。

 かつてドキュメンタリーで勘九郎が『身替座禅』をやっているとき、「どうしても父のようにはできない」と苦悩している様子を見たことがあるが、たしかに父を亡くしたあとの勘九郎の芝居は硬かった。父に追いつこうと急ぐあまりの焦りみたいなものが感じられて、観ているこちらも余裕をなくすようなところがあった。


 しかしその後、いくつもの大役を務め、中村屋を引っ張る責任と向き合っていくうちに、勘九郎は確実に進化している。「余裕が出てきている」とは言えないが、父のコピーではない自分だけの勘九郎になろうとしている。今回の猿源氏にしても、良い意味で緊張感のとれた、勘九郎の猿源氏に仕上がっていたと思う。


 一方の七之助。この人にはいい意味で次男坊の気楽さみたいなものが感じられる。もちろん偉大な父を早くに失った大変さはあるだろうが、七之助には良い意味での「遊び」が感じられるのだ。『伽羅先代萩』の政岡、『助六』の揚巻など次々に大役に挑んでいる七之助だが、玉三郎丈の七之助にかける期待のようなものがひしひしと感じられ、それに応えようとする七之助の進境著しさは今年も目が離せない。

 観劇後うちに帰って、なんと十七世勘三郎丈の猿源氏と六代目歌右衛門丈の蛍火による昭和29年の初演の映像を発見。


 歌舞伎は良くも悪しくも家の芸だが、役の性根が十七世から十八世、十八世から当代勘九郎へと脈々と引き継がれている様を目の当たりにすると、心が熱くなる。

 初春早々の中村屋兄弟の芝居。高齢になりつつある名人上手の芸もさることながら、今年は同年代や若手の芝居をもっともっと観たいと思わせてくれる、笑いに満ちた充実の70分。

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